ここんとこ毎週遅延で申し訳ないです。 2020-10-22 10:44もっと追記2年以上経ちましたが相変わらずです。新しい記事を書いていないにもかかわらず、日々数件のアクセスがあり、有難く、かつ、申し訳ないです。いいかげんタイトルから「週刊」をはずしたうえ…
前回のなんとなく続き。 (天皇制を含む)日本のタテ社会において「がんばる」とは、とどのつまり、社会全体の思考停止、自主的思考の放棄、他律依存、無責任体制なのではないか。 がんばります、と宣言する時点で、現行の価値観を疑わないという相互了解が…
サッカーW杯、日本は予選3戦目のポーランド戦で負けたものの決勝トーナメント進出が決定。その試合終盤のボール回しが議論を呼んだことを受けて。 岡田武史氏はこれについて 日本サッカーは美学ばかりが先行し、現実的な戦い方ができなかった。これもひとつ…
ロシアW杯初戦で日本代表がコロンビア代表に歴史的勝利をおさめたことを受けて、「こうして僕らは「日本人」を卒業していく。 - うにゃにゃ通信」を書きました。 そこでも書いたように、僕は、「日本人」とは暫定的なアイデンティティなのではないかと考え…
「次はこれまでの「頑張る」論考を整理してみたいな」と書いたのですが、考えていくと、どうやら次の「仮説・じつは「まぼろし~!」の日本人」と重なってしまうようです。 まだしっかり整理する時間がないので、以下ざっと、歴史的経緯を書きます。雑ですみ…
またまた執筆が遅延しててすみません。以前から気になっている「スクリーン、スポーツ、セックス」の「3S政策」あたりについて書いてみようかなと思ってます。 ちなみに、「日本では御三家に始まり、何でも三つに絞って例えるのが好き」で、「世界三大珍味…
東日本大震災にしろ、御巣鷹の日航ジャンボ機墜落事故にしろ、そして1945年の終戦にしろ、何にしろ。多くの方々が犠牲になった大災害や大事故は強調して伝えられ、そして必ず、風化させてはいけない、と付け加えられる。 いっぽうで、たとえば大雨の日、…
日大アメフト問題。昨夜に内田正人前監督と井上奨コーチの記者会見が行われたが、結果的にかえって火に油を注ぐ結果となってしまったのは周知のとおり。 ぼくは、日大アメフット部問題:絶対無比の権力者としての「天皇」がまかり通る日本社会 - うにゃにゃ…
前回の追記の続き。 日本は近代化の道を間違って歩んでしまった。それがいまだに自覚すらされていないからこそ、現在も「頑張る」という言葉が無自覚に隆盛を極めている、ということなのではないでしょうか。 日本という国家が間違った道を歩みだしたのは、…
先日も書きましたが、「頑張る」を広辞苑でみると、 ①我意を張り通す。「まちがいないと─・る」②どこまでも忍耐して努力する。「成功するまで─・る」③ある場所を占めて動かない。「入口で─・る」 となっています(ちなみに③は第4版(1991)から追加されたも…
戦後占領期の昭和25年5月。日本学術会議が吉田茂首相らに対し、元号廃止の申入をした文書が残っています[link]。理由に、以下3点を挙げています。 1.科学と文化の立場から見て、元号は不合理であり、西暦を採用することが適当である。〔以下略〕2.法…
2011年におきた東日本大震災のとき、日本中に「がんばれ」があふれました。がんばれ日本、がんばれ東北・・・。 では、その88年前、1923(大正12)年におきた関東大震災のときはどうだったかというと。 このとき、「がんばれ」コールは、存在し…
サッカー日本代表の監督を解任されたハリルホジッチ氏が、クロアチアのスポーツ紙に語った内容が興味深い。 ハリルホジッチ氏がクロアチア紙に語った本音 「日本人の歩みは遅い」 - ライブドアニュース 経済的に世界で最も強い国の一つとして、かつ安定した…
昭和19年7月から昭和20年8月までの一年間は、アメリカらを相手に、勝ち目のない戦争を続ける日本にとって、理想と現実が日々乖離していく、アンビバレントな一年間でした。 軍事面では特攻作戦が、外交面では対ソ工作が行われました。いずれも、後世か…
富岡定俊という海軍の軍人がいました。山本五十六は知っていても、富岡定俊は知らない人は多いかもしれませんが、軍令部の作戦部長を務めた、太平洋戦争時の海軍を代表する軍人のひとりです。著作と伝記がそれぞれ一冊出ています。 国会図書館憲政資料室「木…
菅原道大という陸軍軍人(中将)がいました。沖縄特攻を指揮した陸軍第六航空軍司令官です。ちなみに、1983年に亡くなったときの訃報記事によれば、名前は「みちおお」と読むようです。 偕行社発行の雑誌『偕行』で彼の日記が公開されているのですが、今…
「失敗は成功のもと」といいます。それは、失敗を反省し、失敗した原因から学んで、改めて再出発をすることで、二度と同じ過ちを繰り返すことなく、成功へと歩んでいくことを意味しています。 さて、昭和20年の終戦において、日本人は、はたして、敗北感を…
今回は、閑話休題的雑談です。 日本の近現代史については、研究者、専門家の最新の知見と、一般の認識との間に、ずいぶんと落差があることは、少しかじってみた人なら、わかっていることと思います。 その落差を少しでも埋めることが、僕らにとって大事なこ…
最近追いついてなくてすみません。。。 更新するまで、「自分たちに都合の良い主張は歓迎されるという当たり前の話。 - うにゃにゃ通信」などをご覧くださいまし。
朝日新聞「声」の欄に、「「あきらめる」のは悪いこと?」と題した一文が載っていました。投稿したのは、千葉県在住の高校生、矢板祐樹さん。 たいていの日本人は、あきらめることが苦手だと思う。「あきらめずに頑張る」のが良いこと、美しいことだと幼い頃…
「「頑張り圧」が日本社会に定着したのは70年代初頭:思考停止社会のルーツ」を書いて以来、1970年代が気になっています。 たとえば、(少なくともタテマエとしての)平等社会について。 「頑張れば夢が叶う」的な言説に、「誰でも」という要素がデフ…
特高月報ネタが好評みたいなので、あまり知られていない重要資料「本間報告書」について書きます。 本間報告書とは、小磯内閣の時に内閣の私的顧問だった本間雅晴陸軍中将が、内外のさまざまな動向を広く収集、報告していたものです。とりわけ、当時の国内の…
来年、ブルガリアの首都ソフィアに行く計画を立てています。観光ですが、戦時中のソフィアに、「梅田」を名乗る正体不明の人物がいたとの情報を知ってから、気になっていた地なのです。 戦時中、ブルガリア駐在陸軍武官秘書としてソフィアに赴任していたこと…
これまで「頑張る」というコトバがどのように使われてきたか、過去の文献からたどってみました。 ■昭和6年:人生の競争に、遊戯ではない真剣な生活事業の競争に、誰が『頑張れ、頑張れ!』と声援してくれるか。 昭和6年4月の雑誌に掲載された一文から。書…
前回を書いたあとに、ひとつの疑問が生じました。 「頑張り圧」は、いつ日本社会に定着したのだろうか。 多田道太郎が「頑張る」の考察をはじめて書いたのは、1970年11月23日に日経新聞に掲載されたエッセーです。 このことばを多用している。多用──…
まずは前回のおさらいから。 ■「頑張り圧」とは 「頑張る」が美徳となってから、このコトバに刷りこまれたプレッシャーのこと。頑張らなければ、正しい姿であらねば、こうしなければ、という圧力のことを、ここでは「頑張り圧」と呼びます。 「頑張る」とは…
「頑張る」がもつ含意、表面にはあらわれない、もうひとつの意味についての歴史的な考察です。 きょうもがんばろう!そう言って日々頑張っているあなたは、いったい誰のために頑張っていますか? 頑張らなければ、正しい姿であらねば、こうしなければ、…とい…
「戦争は絶対にダメ」という言説が「無条件」で受容される社会は、戦争が「無条件」で肯定された、かつての日本と本質的に同じで、自主的思考より、求められた役割を忠実に遂行することが賞賛される社会は、戦争へ進む危険を常にはらんでいると思います。 昨…
近現代を生きる僕ら日本人には、2つのアイデンティティ(もしくはパーソナリティ)があります。 ひとつは、「104歳の篠田桃紅さんが語る「デフォルトの日本人像」 」に書いたような、あっさり・さっぱりとしたタイプ。 ものごとを「なんとかなるさ」とか…
104歳の現役美術家・篠田桃紅さんのインタビューを、NHKあさイチ(2017年12月14日放送)で見ました。なかでも、「日本の100年を見つめて思うこと」が、僕にはとても興味深かった。 日本人ってのはいったい、心配性なのか楽天性なのか、どっちかもわ…