吉見直人の近現代史ブログ

史料で日本の近現代史の再構築を。

カズオ・イシグロ氏の日本論から:「どん底からの逆転」神話の嘘と罪

先日ノーベル文学賞に選ばれたカズオ・イシグロ氏は、2年前のインタビューのなかで、日本は戦争という過去を忘れすぎているが、すでに「ショックに対する抵抗力の強い国」になったので、それに向き合うべきだという考えを語っています。

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タイトルにある「忘れられた巨人」というのが、日本がこれまで向き合ってこなかった、戦争という過去のことです。

以下、抜粋です。

戦後、日本は恐らく、「(第2次大戦については)忘れることをエンカレッジ(encourage) された」のだと思います。米国が日本を占領しはじめた頃には、第2次大戦はもう「過去」で、既に冷戦という差し迫った問題が浮上していたからです。〔略〕日本がもし戦争責任や戦争犯罪について、裁判などで誰が悪かったのかということを追及し続けていたら、国としてはバラバラになっていたと思います。少なくとも奇跡的とも言える経済的復活を遂げることはできなかったでしょう。ドイツも日本も、第2次大戦中に独裁政権ファシズムを経験したことを考えれば、戦後、成し遂げたことは素晴らしい。日本は80年代に米国経済を凌駕するまでになっただけでなく、言論の自由や民主主義という価値を定着させ、強固な民主主義を築きました。これは、ある程度「過去を忘れる」ということをしなければ恐らく実現できなかったでしょう。〔略〕ただ、今日、日本はあまりに多くを忘れすぎており、それは問題ではないかという見方は確かにあると思います。

さて、日本は戦争を忘れることをencourage=奨励されてきたのでしょうか。僕は逆に、戦争をremember=思い出し続けてきたのではないか、と考えています。

ただし、ファクトベースではなく、自分たちにとって望ましい物語として、です。

望ましい物語とは、こうです。強国アメリカを相手に勝てるはずもない戦争で徹底的に痛めつけられた日本は戦後、一面の焼け野原から立ち上がり、ガムシャラに努力して、奇跡の復活を成し遂げたのだと。

そこでは、戦争=亡国の失敗と、戦後=奇跡の成功が、強いコントラストをもって物語化されています。どん底からのサクセスストーリーは、スポ根ドラマの定番パターンでもありますが、高度経済成長期に一世を風靡したスポ根ドラマとはおそらく、当時の人々の内面をイメージ化したものなのでしょう。

奇跡の復活を強調し、ヒロイックな昂揚感に浸るには、それとは真逆の前史がなければなりません。それが戦争の記憶です。戦場や空襲での悲惨な体験が繰り返し語られる理由のひとつには、それを確認することで、奇跡がいかに奇跡であるかを再認識できることにあるのではないでしょうか。

また、日本人としてのアイデンティティは、国民的な(ある種の)イベントによって認識、形成、強化されるものだとも考えています。その意味で、悲惨な戦争体験とは、日本人が日本人であるために欠かせないイベントであり、しかもその最大のものは、1945年8月15日の玉音放送だったのでしょう。

別の言い方をすると、終戦の8月15日をもって、日本人はまさしく日本人となったのです。「終戦」とは、ある意味、「日本人」の始まりの日なのです。

日本人が日本人であり続けるには、悲惨な戦争体験と玉音放送は必須であり、だからこそ、奇跡の復活が強烈なインパクトを持ってきます。戦争という過去をrememberし続けることが、戦後の成功、自尊心の復活のためには欠かせないのです。

1964年の東京オリンピックも、日本人にとって重大なイベントです。玉音放送という「どん底のイベント」から、女子バレー「東洋の魔女」の大活躍を頂点とした「歓喜のイベント」へと、わずか20年たらずのうちに日本が猛然と駆け上がっていったことは、日本人が日本人というアイデンティティを確固たるものとすることに、決定的な意味を持ったでしょう。感覚的にいえば、1964年の東京オリンピックは、20年前の敗戦の「リベンジ」であって、この時代を生きた人々の意識には、それらが一体となって位置づけられているはずです。

カズオ・イシグロ氏の話をさらに続けます。

戦後何年も経った今、日本については一つの興味深い「問い」が浮上しています。これは米国のある知識人が言っていたことですが、日本は今や「ショックに最も強い国(shock-proof country)」となったということです。日本は、敗戦や不況など、どんな大変な事態が発生しても、もはや国の体制がひっくり返ったりはしないほど極めて安定した「ショックに対する抵抗力の強い国」になった、ということです。新興国や途上国だったら、大変なショックが生じれば、国の安定が損なわれ体制が変わることもあり得る。しかし、欧米や米国、日本、カナダなど世界のごく一部の国は、大変な事態が起きてもそのショックを吸収出来るだけの「ショックに対する抵抗力を持つ国」だとみなされている、ということです。つまり、日本が第2次大戦中に起きたことについて「忘れよう」としなかったら、今の日本はなかったと思いますが、ここまで「ショックに耐えうる国」とみなされるに至った今、日本は過去を振り返るだけの力を備えた国になったのではないですか、ということです。今の日本には過去を振り返るだけの力がある。私は、自信と力をつけた今こそ日本は第2次大戦について日本と中国、アジア諸国との間で事実について異なる認識の問題に取り組むべきだと思います。

 戦争という過去に向き合うべきだとする、イシグロ氏の見解には僕も賛成です。イシグロ氏は、被害者としての一面だけでなく、加害者としての一面にも目を向けるべきだという考えなのでしょう。それにも賛成します。

が、僕が過去に向き合うべきだとする大きな理由は、ほかにあります。それは、悲惨な戦争体験から奇跡の復活成功へと語られるヒロイックな昭和時代の物語が、いまを生きる僕たちを苦しめている、ということです。そんな、どエラい偉業を達成した諸先輩方にくらべ、僕たちはなんて見劣りをするのだろうという自己卑下、自己否定につながっているからです。

しかし、歴史の事実を直面すれば、いまを生きるぼくらが自己卑下する必要など、まったくないことがわかります。

戦後の高度経済成長を担った諸先輩方は、しばしば、ただガムシャラにやってきたことを誇らしげに強調します。たしかに、大変な日々だったのでしょう。が、それは向かうべき方向があらかじめ明確だったからで、考えたり、悩んだり、立ち止まったりする必要がなかったからです。個人も国家も、そして世界も、向かうべき方向の模索から立ち上げなければならない今日では、ガムシャラ成功論は通用しません。せいぜい、従業員をガムシャラに働かせたいブラック経営者あたりが熱く説教するぐらいでしょう。戦略も持たず(思考判断を外部依存して)ただガムシャラにやれば明日が見えてくる、なんて、今ぼくらが直面している現実からすれば、ある意味、なんて気楽で、なんて楽しい日々だったのだろうかと、皮肉のひとつも言いたくなります。

ガムシャラという方法論は、戦時下から継承したものです。泥沼化した日中戦争から後の日本は、冷静な情勢分析よりも、国全体が勢いにまかせて、ただガムシャラに、つき進んでいったように見えます。

「どうせ日本は負けると思った」とは、戦後しばしば言われることですが、「できそうもない難題に果敢に挑戦すること」自体は、日本では賞賛されることです。その代表的な成功例が、見事に復興を果たしたばかりか世界第二位の経済大国にまでのぼりつめた戦後日本そのもの、でしょうか。「やってもみないのに、最初からダメだとあきらめるな」的なフレーズは、ドラマや日常生活で頻繁に使われます。そう考えてみると、「強国アメリカを相手に勝てるはずもない戦争」を始めた日本も、賞賛されるべきとなります。おかしな話です。「果敢な挑戦」の美徳をもつこの国では、いっぽうの「果敢な挑戦」を否定し、もう一方の「果敢な挑戦」を肯定します。

ともあれ、果敢な挑戦の結果、国家は存亡の危機に瀕し、多くの兵士や国民が、命や、家族や、家や、プライドさえも失います。が、ガムシャラは人々の行動規範として生き残り、高度経済成長の成功によって肯定されます。敗者の方法論だったガムシャラは、戦後、勝者の方法論へとなりました。

「歴史の事実」の詳細についてはいずれ書くことにしますが、悲惨な戦争体験から奇跡の復活成功など、しょせん、その時代を生きた人々にとって都合良く作られた物語なんだ、ということがわかれば、いまを生きる僕らにだって、自信とやらが生まれてきます。

そういう意味で、僕らはそろそろ、過去にきちんと向き合わなければなりません。無意味な自己卑下から脱却し、僕らのリアルを取り戻すために。

どん底からの逆転」神話をありがたがっている限り、僕らに明日はありません。

追記:「これまで僕たちがきちんと向き合ってこなかったこと」について、さらに書きました→「企画院総裁・鈴木貞一の聴取書から:語られてこなかった戦時下の民衆の姿