週刊:日本近現代史の空の下で。

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小磯内閣への「本間報告書」には戦時下民衆のリアルの一端が

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特高月報ネタが好評みたいなので、あまり知られていない重要資料「本間報告書」について書きます。

本間報告書とは、小磯内閣の時に内閣の私的顧問だった本間雅晴陸軍中将が、内外のさまざまな動向を広く収集、報告していたものです。とりわけ、当時の国内の民衆のようすがリアルに記されている点が貴重です。

一部を抜粋します。

 昭和19年9月25日

一、決戦に相当の成功を収めたる後之れを機会に外交戦を以て戦争を終局に導くべきや或は戦争を更に継続して最後まで滅敵進軍すべきやに付いて両論衝突し国論遂ひに分裂することを予想し今から肚を決め置く要ありとして識者間に相当の準備を為すものあり。
二、日本の創造せる重要なる決戦兵器が10月中旬に完成するとなし、又物的戦力が今秋が山だとの見透しと更に米大統領選が11月と睨合せ大体11月から12月頃に決戦が行はれるものと国民が想像している。決戦に対しては大衆は大いに期待しあるも有識層は懐疑的なり。

昭和19年10月12日

三、近時重臣層の関心の重点は外交妥協にあり、政府は此の重臣群の意欲に押されて徹底抗戦意志力を弱化するの已むなきに至り、やがて対米英妥協の手段を取るに至らんとの見解が巷間に流布され、之れに対し陸軍中堅層は対政府不満を抱き又戦争発端当時の為政府を繞る一群は若し之れが表面化することあらば即ち現内閣運命の終点なりと伝え以て本問題は現内閣の試金石として有識者は其の賛否何れの陣を不問ず注視静観しあり。
四、内閣は外交妥協に乗出す時、爾余の機関、並団体は順応するも翼賛壮年団のみが強硬論一本調子で政府に楯を突く処あり。故に今の中に之れが去勢策を講ずべしと閣内の一部に主張するものありと巷間に噂されあり。
而して此の理論を繞りて翼壮こそ徹底抗戦派の本城たらしめんと感激するものあり。

昭和19年10月19日

三、現内閣今日までの「スローモー」は今次大戦果に依って国民から「帳消」にされたるを以て爾今政策の実行面に於て国民を指導引率するに足る政治追撃戦を敢行されたしと希望する者多し。

ここの「今次大戦果」とは、台湾沖航空戦とみられます。次も同様。

昭和19年10月20日

四、大戦果の為め小磯内閣の寿命は延長せりとの観を与へ、民間は現内閣に信頼するの空気濃厚となり、官界人は又腰を据へてやろうと云ふ態度を示し来たれり。

昭和19年10月23日

三、地方視察より帰来せるものの談は左の点に於て概ね一致す。
1 県庁の役人、特に課長以下属僚が権力を振り廻して威張り散らすこと目に余るものあり。又彼等の貪官汚吏的行為は反感を唆り、増産意欲を衰頽せしむること大なり。
2 各地方統制会幹部は旧来営利業者出身多く其頭を其儘として態度のみ役人気取りとなり其地位を利用して私利を営まんとする徒輩多し、大改革を必要とす。
3 民心の悪化顕著なり。其原因多々あるも転廃業者、徴用工、棒給生活者等に於て著しく赤化の温床たらんとしつつあり。
又一般農民の自己中心的傾向も漸く甚だしからんとする傾向あり。
四、米軍の比島上陸は台湾沖の大戦果の喜びに冷水を浴びせたる結果を生じ、国民は敵大輸送船団に対する我空軍の無力に失望し、月産2500と称する飛行機は机上の数字なりや、若くは多数の不合格機をも包含する数字なりやとの疑問を起しつつあり。
某陸軍将校の談によれば比島に在る飛行機は100機中真に飛び得るもの40機にして整備資材等能力甚不十分なり。

昭和19年10月30日

二、内閣顧問の発表を見たる一般国民は恰も同時発表なりし20代30代の勇士が必死爆撃に挺身する壮烈なる第一線部隊に思ひ較べ其の顔振れが余りにも戦時色の希薄さに失望したるのみならず、太平洋決戦の真只中に於て「政府は是れでよいのか」との感を深くせしもの少なからず。

昭和19年11月1日

一、右翼方面の意見
(イ)現内閣は戦勢有利に転換せざるまま米英側と妥協するに非ずやとの危惧の念を有し、之が戦意昂揚と両立せざるものあるやに感ぜられしが今次大阪に於ける総理の演説に於て此点に関する政府の態度を明示せられ安心を与へたり。
六、対米英決戦場に於て神風必死隊の登場し、国民は此の報道を聞いて感泣しある反面、政府の政治措置として現れたる人事の発表を見て彼等は極度の対政府失望感を露呈しあり。
右は翼壮、産報、農報等中堅指導者の総合的意見にして全国青壮年階級も同様なりと見られるべし。

昭和19年11月10日

一、比島沖海戦の戦果偉大なりしに拘はらず、米国の誇大虚構且執拗なる放送の為世界は米国の大勝利を信ずるに至り「ソ」連並中立国に与へし影響少からず。最近に於ける宣伝戦は明白なる敗北なり。其責任を宣伝機構上の欠陥に帰するもの多きも現機構を以て尚ほ為し得ること少からざるべし。

昭和19年11月21日

一、レイテ島戦況の見透しに対し海軍側は沈黙冷静を守りあるに対し陸軍側は極めて楽観的態度なり。
ガダルカナル撤収以来今日まで度々陸軍側観測が必ずしも当たらざりし結果世間では亦此の観測に疑を抱きあり。

昭和19年12月23日

一、比島戦況の我軍に楽観的にならざるに対し、陸軍省部内に於ては、比島は天王山に非ず、又、斯くなりたるは海軍の制海権喪失に起因す、との意見散出し恰も陸軍当局者は戦況に対する見透に就き確乎たる自信を失ひたるかの如き観あり。

昭和20年1月26日

一、地方民心は慚次戦局に対し絶望的に陥りつつあり「マニラ」陥落するに至らば相当の動揺を免かれず。

昭和20年1月31日

一、議会に於ける問答中新聞に現れたるもののみに就て見るに「非死必殺の新兵器生れつつあり(八木技術院総裁)」「飛行機生産は楽観して可なり(遠藤航空総局長官)」「油は十分の分量あり(吉田軍需相)」「食料は心配の要なし(島田農商相)」「国内の治安は良好なり(大達内相)」等々
何もかもうまく行って居ると云ふ形なり。
之等を「ラヂオ」にて聞き何と云ふ出鱈目ばかり言ふのかと憤慨して「ラヂオ」を叩き毀したるものあり。
そんなにうまく行って居るのに敗戦を重ねて行くのはどういう次第かと訊ねる農民あり。

ここから読みとれること。

政府や軍にとって、「戦果」とは、無条件降伏ではない、条件つきの講和、しかも、できるだけ有利な講和に必要だったものですが、それだけでなく、悪化する民心をつなぎとめるために欠かせないものでした。台湾沖航空戦の「大戦果」は、(すくなくともいっとき)国民に歓迎され、小磯内閣への不興を帳消しにする効果がありました。

国民は「米軍の比島上陸」に失望する一方、「20代30代の勇士が必死爆撃に挺身する壮烈なる」姿、「対米英決戦場に於て神風必死隊の登場」に感泣しました。

ガダルカナル撤収以来今日まで度々陸軍側観測が必ずしも当たらざりし結果世間では亦此の観測に疑を抱きあり」「何と云ふ出鱈目ばかり言ふのかと憤慨して「ラヂオ」を叩き毀したるものあり。そんなにうまく行って居るのに敗戦を重ねて行くのはどういう次第かと訊ねる農民あり」といった記述から、少なくともこの時点では、国民はいわゆる「大本営発表」をあまり信じていませんでした。

など。

※とりあえず初稿アップします。本間報告書は他にも興味深い記述があるので、後日追記するかもです。