週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

「日本人維持装置」としての終戦記念日

東日本大震災にしろ、御巣鷹日航ジャンボ機墜落事故にしろ、そして1945年の終戦にしろ、何にしろ。多くの方々が犠牲になった大災害や大事故は強調して伝えられ、そして必ず、風化させてはいけない、と付け加えられる。

いっぽうで、たとえば大雨の日、登校中に水没した道路で溺れて亡くなった高校生がいた、…という事故の記憶は、すぐに忘れ去られる。

ぼくは、大きな事件事故であれ、小さな事件事故であれ、誰かが不幸にも亡くなったら、その家族や友人など、悲しむ人はたくさんいるし、いや、もし仮に、誰も悲しまない孤独な死であったとしても、誰かが不幸にも亡くなったという事実の重さは、決して変わらないはずだと思っている。大事故で亡くなった方の死と、大雨で水没して亡くなった方の死と、どちらも同じ死だ。重いも軽いもない。

以前、とあるニュース番組のスタッフだったとき、その番組で、交通事故防止キャンペーンを展開したことがあった。意図するところは、交通事故で亡くなる方は一日に数人、一件で一人だったとしても、年間の死者数はたいへんな数になるのだから、大事故が毎年起きているのと同じで、もっと日々の交通事故にフォーカスをあてるべきだ、というものだった。ぼくもそう思った。

では、なぜ、大災害や大事故は強調して伝えられるのか。風化させてはいけないと言われるのだろうか。

それは、集団としての記憶、幻想としての国民を維持するためではないか、と、ぼくは考えている。日本人という属性を維持していくには、共有できる物語が必要なのだ。

そう考えていくと、1945年の「終戦」という経験の記憶は、そして、そこに至るまでの悲惨な歴史は、「日本人」の完成に向けた、プロセスなのではないか。

何のために?国家という幻の共同体を維持するため?

国家的な大イベントが「日本人」を作るという意味では、オリンピックも同じだ。1964年の東京オリンピックが「日本人」に与えた影響、それは、もしかしたら、1945年の終戦以上のものかもしれない。

当時、「なせばなる」の信念で戦い、決勝戦に「宿敵」ソ連に勝利し、見事優勝をはたした、大松監督率いる女子バレー、「東洋の魔女」たちの大活躍に、日本中が熱狂した。そのとき、まさに「日本人」は完成をみたのかもしれないとも思う。

話を戻す。「終戦」の記憶が「日本人」の維持にとって必要だとしたら、では、「日本人」というアイデンティティの必要性とは、何だろう。「日本人」というアイデンティティは、僕らにとって、必要なのか。どういう意味があるのか。結局のところ、僕らは、なに人だっていいんじゃないか。

という考えのもと、以前、「「日本人フリー」の提唱 - うにゃにゃ通信」を書きました。

(すいません、文章ぐだぐだで。。。)