週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

他力本願かつ責任放棄的永久運動機関としての、がんばり社会。

前回のなんとなく続き。

天皇制を含む)日本のタテ社会において「がんばる」とは、とどのつまり、社会全体の思考停止、自主的思考の放棄、他律依存、無責任体制なのではないか。

がんばります、と宣言する時点で、現行の価値観を疑わないという相互了解が成立している。とにかくがんばればいい、とする社会や集団が求めるのは、現状維持。そして「天皇」の国(ex.一君万民)では、思考判断はどんどん上に送られていく。決めるのは班長→課長→(略)→社長→政府→最後は天皇天皇以外、何も考えなくても、何も決断しなくてもいい。

ともかくがんばれ、と。考えるよりもがんばれ、と。

他力本願かつ責任放棄的永久運動機関としての、がんばり社会。

…と考えていくと、さきの平昌五輪で、金、銀2つのメダルを獲得した、選手団主将の小平奈緒選手が結団式で「百花繚乱」という言葉を掲げたことの意味は、とても重い。そして先日7月1日、現役復帰を発表した高橋大輔が「自分だけのためにやっていきたい」と語ったことの意味も。彼らの意思表明は、何も考えずとにかくひたむきに頑張ってさえいれば所属集団内での存在意義を認められるという極めて不条理でタテ構造の日本社会に対するいわば反逆行為だ、だが同時に、世界で戦う一流のアスリート達はすでにその日本社会の圧力をただ甘受しているだけでは世界で戦えないことをわかっているからこうした言動に出るのだし、それはいまの時代をリアルに生き延びようとするこれからの人たちにとって希望であり指針でもある、と、僕は思うんだ。

(相変わらず雑な文ですみません。ときどき書き足したりしてます)