「国民に対し親切第一」と東條英機が内閣首脳への初訓示で語ったという、朝日新聞記事(昭16.10.22夕刊)。
特にお願いしたいことは「親切」ということである。ご承知の通り国民の多数が戦地において死を賭して幾多の辛苦を重ね、銃後の国民はまた一億一心、滅私奉公を重ねているのである、かかる際においては行政官吏たるものは常に国民一般の立場に立って考えることを忘れることなく、人に接すること懇切に、部内互いに相和し、事務の遂行に当たらんことを望む次第である。
訓示には「事務」という言葉が何度も出てきて、とてもこの時期の首相のものとは思えず、やはり東條は優秀な「事務方」だったのだろうなと思います。支那からの撤兵を強く拒み、結果、対米戦に突入してしまった彼の本心は、この「親切第一」だったのではないかと。
一国のリーダーとしては、やはり、「親切」よりも「決断」をしてくれてたらと思います。
ところで、当時の日本は、いまの北朝鮮と同様に、アメリカとの対立を深め、経済封鎖を受けていました。世界で孤立し、「ならず者国家」とみられていたことも、いまの北朝鮮と似ています。というか、北朝鮮が当時の日本をモデルにふるまっているようにも見えます。その日本の指導者、横暴な軍部を率いる独裁者というイメージで世界から見られていたであろう東条英機が「親切第一」を説いていたという事実。いまの北朝鮮にも案外、こんな実情があるのかもしれません。それにしても当時の日米関係、疑心暗鬼の探り合いより、誠実に腹を割った話し合いがあれば、史実とは違った展開をみせたのかもしれないと僕は思います。
※後日、加筆修正します。