週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

過去に向きあう。未来を手に入れる。

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当ブログの説明は「過去に向きあう。未来を手に入れる。」です。当初は「史料で日本の近現代史の再構築を。」だったのを変更しました。僕にとっては、ほぼ同じことを言っているつもりなのですが、その意味を説明します。

先日、朝日新聞のオピニオン欄に「フェイクとどう闘うか」と題し、米エモリー大学教授の歴史学者、デボラ・E・リップシュタット氏のインタビューが掲載されました(20171128朝刊17面)。

「米国の作家フォークナーがこんな言葉を残しています。『歴史は死なない。過ぎ去りもしない』。歴史は古い事実だけではありません。起きたのは過去かもしれませんが、現代性のあるものです」
ヒトラーの風評を変えようとしたアービング氏ら否定者は歴史に関心を寄せたいのではなく、現在を変えたいのです。彼らがやろうとしているのは、歴史を改めて違う形にすることで、いまと未来を変えようとしているのです」

歴史は、ときに創られるものです。個人の歴史が、意識的あるいは無意識的に、しばしば誇張され、あるいは矮小され、忘れられ、書き換えられるのと同様、国の歴史にも創作があります。そのほうが、いまを生きる人にとって、少なくともそのうちの誰かにとって、都合がいいからです。過去を書き換えることは、現在と未来を書き換えることにつながります。

日本の近現代史にも、創作があります。創作に満ちあふれている、といったほうがいいかもしれません。だから、拙著『終戦史』 のプロローグを「「終戦」というフィクション」としました。

創作の核心部分のひとつは、昭和20年8月の「終戦」にいたる戦争を、すべて「狂気の軍部」の暴走によるものだとし、国民は軍部にだまされたのだ、としたことです。このストーリーが戦後成立し、日本の人びと(および占領軍)に受容され、浸透し、デフォルト化していく過程はなかなか複雑なので、ここでは詳しく触れませんが、当時から異論がありました。

映画監督の伊丹万作は、終戦直後の昭和21年、「戦争責任者の問題」と題した一文を雑誌に寄せています。伊丹は、「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという」と述べたうえで、町会、隣組、警防団、婦人会といった民間の組織が、熱心、かつ自発的に、だます側に協力していたとします。

「戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか」
青空文庫

すべてを「軍部」のせいにするのは、アメリカの占領政策上、都合のいいものでした。その「軍部」に、大日本帝国憲法下で大元帥だった昭和天皇が含まれないという点は、スルーされました。多くの国民にとっても、都合のいいものでした。戦後日本の再出発は、過去を書き換え、日本軍をばっさりを切り捨てるところから始まったのです。

ですが、ここで国民が免責されたことは、その後の日本にとって、果たして、本当に良いことだったのでしょうか。

もちろん、終戦までの長い期間、つまり、満洲事変以後の「非常時」に、あるいは、日中戦争以後の閉塞感が増すばかりの暮らしに、そして、激しい空襲による死の恐怖に、ずっと直面しつづけた日本人をおそった疲労と絶望、「虚脱」状態(ジョン・ダワー『増補版・敗北を抱きしめて(上)』p92)を考えれば、その措置は妥当なものだったといえるのかもしれません。

ですがその後、わずか数年で、国民の間に伝統回帰的な風潮がめばえ、子どもたちの自主性や個性を尊重する「新教育」に対する反発から、昔ながらの問答不要のしつけを学校に求める声が強まったことや、昭和39年の東京オリンピック後に、軍隊ばりの、あるいは軍隊顔負けの「根性」ブームが起き、その後、体罰、しごき、精神論が教育現場で猛威をふるったことは、多くの国民が「ちっとも懲りていない」ことを示しているように見えます。人々は、戦争はもう二度とごめんだと言いながら、そのいっぽうで、「軍国主義」下の精神論を、民主主義の平和国家に生まれ変わったはずの戦後日本で復活させたのです。

その後の日本は、高度経済成長によって「経済大国」となるわけですが、その自負が、戦前戦中となんら変わりない精神論とリンクした成功神話となり、「戦後の経済的復興は頑張りによって成し遂げられた」(2002年4月、新聞投書)という言説が、あたかも自明の事実であるかのように、人びとの間で語られていきます。

やはり高度経済成長期(もしくは、高度成長期半ば、東京オリンピック後の「四十年不況」を契機)に、「日本人は勤勉だ」という誤解(『自分の半径5mから日本の未来と働き方を考えてみよう会議』出口治明・島澤諭p63では「思い込み」)が定着し、そうした「理想の日本人像」(←いったい、誰にとって?)が、いつまでも僕たちにのしかかり、僕たちを規定し、僕たちを追い立て、戦後の新教育で浸透するはずだった自主性や個性の発揮が社会全体で阻まれているかに思える状況を鑑みれば、いまこの時代に、現在進行形で生きている僕たちは、そして、この先も生きていく僕たちは、未来を手に入れるために、過去に向きあう必要があります。

これまで自明の事実であるかのように語られてきた歴史(=どん底からの逆転劇)は、高度経済成長という、「実は努力しないでもそれなりに“右肩上がり”で来られた時代」(ひろさちや、2006.9)を謳歌した世代にとっては心地よいものだったのかもしれませんが、僕たちにとっては、迷惑な話です。

日本的な精神主義がもたらした結果は高度経済成長という成功ではなく、空襲で何もかもが破壊された焼け野原、昭和20年の終戦=敗戦という失敗なのです。

僕の主張をごく簡単にいえば、ブラック企業の精神風土を、実証的に叩き潰そう、ということです。

そしてそれは、ひとつのアプローチとしては、史料に基づいて、日本の近現代史の再構築をしていくことに他なりません。

たとえば、一ノ瀬俊也『飛行機の戦争1914-1945─総力戦体制への道』(講談社現代新書、2017年)は、太平洋戦争がじつは「国民の戦争」(p14)であったことを、「主として海軍の宣伝パンフレットや市販戦争解説書、そしていわゆる日米仮想戦記などの史料」(p7)を使って、詳細に解き明かしています。一ノ瀬氏によれば、戦時下の国民が対米戦争を航空戦主体のものと認識していたにもかかわらず、戦後の日本人は戦争を大鑑巨砲主義、戦艦の戦争と記憶しつづけてきた理由のひとつが、「戦後に盛んとなった、戦争指導の“真相”暴露的な報道が、航空戦に協力した民衆を免罪するため、戦争を戦艦主体として書き換えたこと」だとしています。

僕自身は、「終戦」に強いこだわりを持っています。「終戦の8月15日をもって、日本人はまさしく日本人となったのです。「終戦」とは、ある意味、「日本人」の始まりの日なのです」とも書きました(カズオ・イシグロ氏の日本論から:「どん底からの逆転」神話の嘘と罪)。終戦なんて、もう70年以上前のことで、いかにも古臭い、かび臭いと感じる人もいるでしょうが、書き換えられた過去を書き戻さない限り、僕らは、未来を手に入れることができないと思っています。

過去に向き合い、未来を手に入れましょう。