週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

進むべき道が自明だった時代。自主的思考を放棄できた時代。

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あなたの周りに、孫に何でもしてあげた挙句、孫をダメにしてしまった、「優しい」おばあちゃんはいませんか。

ここでその詳細を書くのは控えますが、僕の周りには、います。しかも、一人ではありません。だからきっと、日本全国、そこらじゅうに、そんな「優しい」おばあちゃんがいるのではないか、って気がします。

なぜ、そのおばあちゃんは、そんなことをするのだろう。そう考えたことで、ある仮説にたどり着きました。

その「優しさ」の最大の特徴は、たぶん、先回りしてしまうことです。未来という荒野を先行して切り拓き、きれいでまっすぐな道を作り、さあ、あなたはここを歩くだけでいいのよと、微笑んで待ち構えているのです。…あくまでイメージですけど。

おばあちゃんは、かわいい孫が進むべき道はただ一つだと思っています。疑いもなく思っています。向かう方向は自明であって、だから、孫が自らの頭で悩んだり、迷ったりする必要はないと思っています。悩んだり、迷ったりすることに価値があるとは思っていません。そんなことは時間と手間の無駄だと思っています。

何を立ち止まっているの?
ガムシャラに行けばいいのよ。がんばれば、必ずいいことがあるんだから!

ガムシャラに頑張って豊かさを手にしたと自負する世代は、ガムシャラが成功の合言葉だと思っています。わき目もふらず、一心不乱に、ひたむきに、努力をし続けた者に、素敵なゴールが待っているのだと思っています。

でも、ほんとうの荒野を進むのに、ガムシャラはいけません。どこにどんな危険が潜んでいるか、わかりませんし、方角だって、常に間違っていないか確認しながら進まなければ、どうなるかわかったものじゃありません。ですよね?

おばあちゃんは、孫の自主的思考を奪っていたのだと思います。

新聞に、こんな投書が載っていました。終戦当時に19歳だった男性からの投書です。「戦争末期、空襲の際に防空壕に逃げ込みながら「自主的思考が不十分で権威に追従していたから、死の一歩手前まで追いつめられた」と考えた」と書いてありました(無職・日野資純・静岡県・89歳、2015.3.15朝日新聞)。

自主的思考が不十分だったのは、戦時中に限らないと僕は考えています。戦後の高度経済成長期も、日本人は、ひたすらガムシャラに働いてきたからです。ほんとは、戦後の占領期から高度経済成長期の途中まではあまりガムシャラとは言えないのですが、そこはとりあえず、置いといて。

自主的思考が不十分だった期間は、たぶん、「非常時」と言われだした満洲事変(1931(昭和6)年)から、バブル崩壊(1990(平成2)年)あたりまで、約60年間です。あ、バブル崩壊wikiでは1991年からとなってましたが、僕の経験では1990年。当時、六本木交差点の本屋で読んだ雑誌に、「バブルがはじけた」とか書いてあった記憶があるので。

つまり、日本人はこの60年間もの長い間、自主的思考を放棄してきたのです。満洲事変以後の日本は、かたくなに、進むべき道は自明と考え、国際社会との間に摩擦を起こし、泥沼の戦争に突入して、国家存亡の淵に立たされたのが昭和20年。ここで「自主的思考が不十分で権威に追従していたから、死の一歩手前まで追いつめられた」と国中が反省すれば違ったのでしょうが、なにしろ悪いのはぜんぶ軍部のせいにして免責された日本人は戦後、豊かさ一直線に邁進します。どん底からの再出発ですから、これ以上悪くなりようがないし、給料は年々アップで毎年目に見えて暮らしは豊かになっていきます。

考える必要はありませんでした。

でも、いまに生きる僕たちは、考える必要に直面しています。どう考える、どう生きる、どう進む。頑張るにしたって、何をどう頑張る。誰かのためではなくて、自分のために。あるいは、自分が大事にする、何かのために。

時には立ち止まったり、振り返ったり、横道にそれたり、立ち戻ったり。効率が悪くても、ひとつひとつをクリアしていくしか、ないですよね。

おばあちゃん、かわいい孫を「善導」するのは、もうやめませんか。やり直しはきかないんですから。