週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

104歳の篠田桃紅さんが語る「デフォルトの日本人像」

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104歳の現役美術家・篠田桃紅さんのインタビューを、NHKあさイチ(2017年12月14日放送)で見ました。なかでも、「日本の100年を見つめて思うこと」が、僕にはとても興味深かった。

日本人ってのはいったい、心配性なのか楽天性なのか、どっちかもわかんない。
心配してんのかしら本当に、日本の将来ってものを。
楽天的に、何とかなるさと思ってんのかしら。
私はなんだか、後者のような気がする。
そりゃ絶対、何とかなるわよね、何とか。
その何とかの何になるのか、どういうふうになるのか。
そういうことまで考えないわよね、日本人って割と。
何とかなるさで、その何とかっていうのに任せちゃってるみたい。
徹底的なんてことはしないでしょ、日本人は。
どっかふわっと残してるわよ。
西洋人はやるとなったら徹底的ですよ。

以前書いた、「日本精神・前編:「日本人らしさ」の源流は、満洲事変後にあった 」で僕は、勤勉な日本人像とはまったく異なる、いわば「デフォルトの日本人像」を示しました。

大正末の小学校六年生用国語読本に掲載された「我が国民性の長所短所」には、奮闘努力の精神に乏しく、遊惰安逸に流れ、飽きやすく諦めやすく、一念を通す粘り強さに欠けた国民性が書かれていますが、これは、1913(大正2)年生まれの篠田さんが10歳のときの読本です。

それから20年後、1933(昭和8)年に出された『ガンバリズム─金儲けの探し方と見つけ方考へ方』という題名の本では、金儲けの原則のひとつに「ガンバリズム」を挙げています。「明日は明日の風が吹くといふ気持ち」ではなく、何か一つの目標を考えついたら、諦めずに「頑張って」みれば、「金儲けは立ちどころに湧いて参ります」と説いています。

篠田さんの言う、「何とかなるさ」と楽天的に考える日本人の姿と、この「明日は明日の風が吹くといふ気持ち」は、おそらく同じことを言っています。

「あるべき日本人像」が盛んに言われだしたのは、僕の調べでは1930(昭和5)年頃で、篠田さんは当時17歳。おそらく、篠田さんの人格形成において、このやたらと理想主義的で勇ましい「あるべき日本人像」は、ほとんど影響なかったはずです。

そして、いまだになお、篠田さんがこうした日本人像、徹底的にやる西洋人との比較を語っているというのは、僕ら日本人の心根が、「あるべき日本人像」には染まっていないということを意味していると思います。

たとえばサッカー日本代表。海外、とくにヨーロッパで活躍する、「われらが」原口元気その他の日本人選手は、徹底的な西洋人の流儀をじかに学んでいるから戦える。いっぽう、国内リーグの日本人選手は、デフォルトの「何とかなるさ」的思考から抜け出せていないがために、「何とか」に任せてしまっているから(=他律的思考)、いざとなると、リーダーシップ不在のメダカの群れみたいな無責任集団になってしまうのではないかと思ったり。

なお、篠田さんの言葉には、つづきがあります。

そういうところがやっぱり、日本人ってのは曖昧模糊としたところを残してる。
それが、人間が考え得ないものがあるって、謙虚な美しい性格なのか、無責任極まるものなのか、それはわかんない私には。
両方だとは思う。無責任でもあるし。

ひとつの解釈として、日本は地震津波、台風といった、人間の制御を超えた「天災」が多いため、この土地で暮らす流儀として、「何とかなるさ」という思考スタイルを身につけた、のかもしれません。

根拠はありませんが。