週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

日大アメフト問題から、「天皇」天国の国ニッポンの瓦解問題へ。

日大アメフト問題。昨夜に内田正人前監督と井上奨コーチの記者会見が行われたが、結果的にかえって火に油を注ぐ結果となってしまったのは周知のとおり。

ぼくは、日大アメフット部問題:絶対無比の権力者としての「天皇」がまかり通る日本社会 - うにゃにゃ通信で、こう書いた。

体育会的な集団では、こうした事態は充分起こりうることだろう。
こうした事態とは、監督が選手に反則を指示した、ということではなく、監督が選手に、ありえない指示を出し、選手がそれに従った、という事態だ。服従、従順の関係性だ。
どんな組織、集団であれ、上に立つ者が絶対、ということは、本来ありえないはずだ。人と人との関係性は、そんな不条理で暴力的なものであってはならない。なのに、この国では、いまだに、そんな関係性が、大手をふってまかり通っている。
いわゆる、比喩的な表現としての「天皇」の存在だ。

この服従、従順の関係性を考えていくうえで、外せない論考は、『タテ社会の人間関係』(中根千枝、講談社現代新書)だろう。51年前に刊行、ぼくの手元にあるもので昨年3月に128刷という、驚くべきロングセラーだ。

「リーダーにはなぜ年長者がなるか」(p148-)によれば、「日本社会のあらゆる集団において、そのリーダー、または、責任ある××長という地位」が、「他の諸社会に比べて圧倒的に年長者によって占められている」なんだそうだ。

そしてそれは、「タテ」の人間関係を前提としているからだとする。

集団の歴史が長く、大きい集団であるほど、リーダー自身の年齢も相対的に高くなるわけで、こうした集団においては、若者などいうに及ばず、中年であっても、とてもリーダー、××長のポストを占める可能性はない。
日本社会における重要な地位がすべて高年齢層の者たちによって占められている事実は、実にこのメカニズムを反映しているのである。

内田前監督と井上コーチ、そして危険なタックルを行った選手は、まさにこのタテの関係にある。「御意の関係」ということもできる。

おそらくこれまでも、似たようなことは行われてきたのだろう。そしてこれまでは、この強固な関係性ゆえに、問題は握りつぶされ、闇に葬られてきた。しかし今回は、御意の関係の末端に位置する選手自身が会見を行い、そこで行われていた詳細を暴露した。さらに彼は、この関係の問題性をも世間に晒し、自分自身で考え、判断することの大事さを改めて知らしめた。

TOKIO山口達也問題も財務省事務次官セクハラ問題も、要は、「もう黙らない」という、末端の立場からの意思表明だ。これらの事象は、「天皇」天国、「御意」天国の国ニッポンを支える、タテの人間関係そのものが瓦解しつつあることを示していると僕は思う。

『タテ社会の人間関係』では、日本は老人天国だとしている。刊行された1967年はまだ高齢化社会ではなかった。いまは超高齢化社会に向かっている。当時よりも一層、「天皇」天国、「御意」天国の問題が各所で先鋭化しているということではないか。不条理な指示を受けた選手も、山口達也にわいせつ行為をされた当人や親も、財務省事務次官のセクハラ被害を受けた女性記者も、もうみんな、かつてのように黙ってなどいないのだ。

以前、太平洋戦争末期の空襲で防空壕に逃げ込みながら「自主的思考が不十分で権威に追従していたから、死の一歩手前まで追いつめられた」と考えた、当時19歳だった男性の新聞投書を紹介しました[link]が、日大アメフト問題については、

日大アメフトの顛末。指示通り丸刈りにして「特攻」に備えた宮川選手。監督「やらなきゃ意味ないよ」コーチ「できませんでしたじゃ済まないからな」と送り出した「上官」たちが、そろって「いやはや、まさか敵艦に本当に突っ込んじゃうとは予想外でした。合掌」という地獄絵です。(冨永 格(たぬちん))[link]

と、戦争当時、若者を特攻死に追いやった構造と同一視する見方も出ています。これはまさに、山田朗『近代日本軍事力の研究』で、

特攻を恒常的な戦法としたことは、戦略的に挽回不可能なことを、戦術的な第一線将兵の勇敢敢闘によって打開しようとしたものであり、また、年輩者の無策を若者の命によって補おうとしたものであった。〔略〕このような「禁じ手」である特攻について、どのような形であれ美化することは、若者の戦死の実態を覆い隠し、このような作戦を強行した戦争・作戦指導者の責任を雲散霧消させるものである。特攻について語るとき、私たちは、このような理不尽な作戦を強行した軍指導者をまず第一に批判すべきであり、「慰霊」の名の下に、責任の所在をあいまいにしてしまってはいけないのである。

と厳しく批判されていることに通じます。

年輩者自身が負担すべきツケを、若者に回す日本社会、そして、日本大学という組織は、最低です。ちゃんと矜持を見せなさい。