2011年におきた東日本大震災のとき、日本中に「がんばれ」があふれました。がんばれ日本、がんばれ東北・・・。
では、その88年前、1923(大正12)年におきた関東大震災のときはどうだったかというと。
このとき、「がんばれ」コールは、存在していませんでした。
当時の新聞記事でしばしば使われた言葉に、「意気」がありました。いち早くバラックでの復興をみせた神田地区に、「神田っ児の意気を見せた」といった具合に。「頑張る」が席巻する前の日本には、江戸っ子伝統の「意気」の文化が、残っていたのです。
このとき流行った言葉に、「この際だから」というのがありました。
この災害後、被災者が復興を目指した時に、「この際だから、これまでの生活のあり方を見直そう」という運動があり、この「この際だから」が合言葉、流行語となった。[link]
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この時代、横浜では「この際だから」という言葉が流行ったという。 震災をバネにより新しい事にチャレンジしようという市民の気概を示す言葉だ。[link]
「がんばる」と、「この際だから」は、対照的な言葉です。「がんばる」は保守的で、「この際だから」は革新的です。
「頑張る」の語義ですが、広辞苑では、
①我意を張り通す。「まちがいないと─・る」
②どこまでも忍耐して努力する。「成功するまで─・る」
③ある場所を占めて動かない。「入口で─・る」
となっています。僕らはもっぱら、②の「どこまでも忍耐して努力する」の意味で、しかもそれを美徳として、「頑張る」を使っています。「頑張る」には、「耐えることは素晴らしい」という意味がこめられています。
先週書いた、「ハリルホジッチの発言から:日本人の歩みが遅いのは「従順ファースト」だから。」でも、
「がんばる」には、我慢する、とか、耐え忍ぶ、といったニュアンスが、好意的に込められている。これは、個性を発揮するよりも、個性を封じ、社会的に忍従することを善しとする価値観の反映だ。「がんばり」を重んじることは、社会が求める既成の価値観を優先することにつながる。親や教師、先輩や上司といった目上の者が求める、「良い子」的なありよう、各自の個性よりも「みんなで」がなにより大事な価値観、変わることを良しとしない保守的かつ他律的なあり方を示している。
と書きました。なぜ僕らは、忍耐、我慢、そんなものを至上のものとしているのでしょう。そして、「何事も達成するためには頑張らなくてはいけない」と思い込んでいる(『自分を変える習慣力、三浦将、2015年』p57)のでしょう。
なぜ、東日本大震災のとき、関東大震災のときみたいに「この際だから」としないで、「がんばれ」、つまり、どこまでも忍耐して努力することを求めたのでしょう。
あのとき、「この際だから」と、これまでの生活のあり方を見直していたら、原発の再稼動なんてバカな話にはなっていなかっただろうし、被災地再建のあり方も、ずいぶんと違ったものになっていたのではないでしょうか。
この88年の間に、日本人は、それまで持っていた意気とか、気概とか、古いものをぶち壊して新しいチャレンジをしようとか、そういう気持ちを失い、変わることを良しとしない保守的かつ他律的な姿に、落ちぶれてしまったのでしょうか。
(「頑張る」についての考察は、当記事も含め、このブログでずいぶんと書きました。その都度、角度というかアプローチというか書き出しやタイトルを変えて書いているうちに、新しく見えてきたこともあります。書くことで、耕し、育てているような感覚です。いずれ、これまで書いたものを整理し、さらに研ぎ澄ました考察に仕立てたいと思っています)