週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

頑張れば頑張るほど世界で勝てない日本:我慢は美徳か

先日も書きましたが、「頑張る」を広辞苑でみると、

①我意を張り通す。「まちがいないと─・る」
②どこまでも忍耐して努力する。「成功するまで─・る」
③ある場所を占めて動かない。「入口で─・る」

となっています(ちなみに③は第4版(1991)から追加されたもので、第1版(1955)では①と②だけ)。

僕らはもっぱら、②の「どこまでも忍耐して努力する」の意味で、しかもそれを良い意味で、つまり、推奨され、かつ、褒められるべき美徳として、「頑張る」を使っています。それが美徳であるからこそ、「頑張る」は僕らの毎日で乱用され、何かといえば日常会話のなかで「頑張ります」「頑張ってるな」「頑張れ」と使われています。

重要な点は、「頑張る」に、「忍耐することは素晴らしい」という意味がこめられていることです。

僕の大好きなバンド、エレファントカシマシの「俺たちの明日」は、「さあ、がんばろうぜ」から始まっています。これが「さあ、努力しようぜ」とかではないのは、それに続く「不器用にこの日々ときっと戦っていることだろう」からもわかるように、日々のさまざまな辛い出来事、納得できないことや悲しいこと、やりきれないことなどにも負けずに歯を食いしばって前を向いて生きていく、我慢する、耐え抜く、といったニュアンスが込められているからです。この歌に励まされる働く人たちは、きっと多いと思います。

「頑張る」についての考察を書いた多田道太郎は、「『広辞苑』に言うような「どこまでも忍耐して」という含意はむしろ乏しく、持てるかぎりのエネルギーを出しつくすという意味で、このことばは、戦中戦後使われてきた」とし、戦後、「頑張るということばの隆盛を見るにいたった」ことについて、「今日の集団的無意識が「頑張る」、つまりはエネルギーを出しきることに盲目的価値をおいているからなのである」と解釈しています(『しぐさの日本文化』講談社学術文庫、もとは1970年からの新聞連載)。

ぼくはこれまで、多田のこの解釈には疑問を持っていました。彼がこの考察を書いた1970年頃の新聞や雑誌の記事などでの用例をみると、全力を出し切るというような能動的なニュアンスよりも、「粘る」とか、「諦めずにやり続ける」といったニュアンスのほうが多いように見受けましたし。

たとえば、1972年12月27日、女優・飯田蝶子さんの訃報記事が新聞に掲載されましたが、見出しには、「笑い振りまいた、がんばり50年 “庶民代表”飯田蝶子さん死ぬ」とあります。飯田さんは、日本を代表する「お婆さん女優」として親しまれ、小津安二郎作品を含むたくさんの映画に出演、息の長い活躍を見せた方です。コツコツと地道な努力を続けた女優人生が、「がんばり」とされたのでしょう。多田のいうような、「持てるかぎりのエネルギーを出しつく」した50年、というような、激しいものではありません。そして、「がんばり50年」と書かれたニュアンスを、僕ら日本人は、おそらく誰もが理解できるはずです。なにしろ、日々、そうやって「がんばって」生きているのですから。

いっぽうで、戦時下の「頑張る」は、多田の言うような「持てるかぎりのエネルギーを出しつくす」ニュアンスがかなり濃厚にあります。「頑張る」の用例をさかのぼっていくと、もともとは、広辞苑①の「我意を張り通す」の意味でもっぱら使われていた時代から、もっとアグレッシブで、強引で、強烈で、鼻息の荒いものでした。

これをどう解釈したらいいのか。考えた末に僕が現時点で辿りついたのは、要するに、いま現在、「頑張る」は、ダブル・ミーニングなのではないかということ。「持てるかぎりのエネルギーを出しつくす」も、「どこまでも忍耐して努力する」も、ともに含んでいる言葉なのではないか。

さらにいえば、僕らは、「全力を出し切って努力する」ことと、「どこまでも忍耐して努力する」ことを、結局のところ、同一視しているのではないか。全力を出すことはすなわち、忍耐することだと、思い込んでいるのではないか。

関東大震災のとき、日本人には「この際だから」との気概があった」に書いたように、「何事も達成するためには頑張らなくてはいけない」と思い込んでいる(『自分を変える習慣力、三浦将、2015年』p55)というのは、何事も達成するためには、辛さや苦しみに耐えること、我慢をすることが必要だと、それがすなわち、全力を出し切ることなのだと、思い込んでいるということなのではないか。

改めて、考えてみます。忍耐、我慢、それができて一人前の大人だと、僕らは当たり前のように思っています。我慢できないのは子どもだと。わがままだとか、根性が足りないとか、言われます。でも本来、人の可能性というのは、それぞれの自発的な意志、自律的な「やる気」によって、自由に、個性的に、発揮されるものです。戦後教育現場に導入された「新教育」は、そうした自主性や個性を尊重するものでしたが、それが「軟教育」だとして批判を浴び、教育界も「逆コース」の道を辿りました。

1970年代に子ども時代を過ごした人ならわかるはずですが、当時の「しごき」は、ひたすら忍耐を強いるものでした。「しごき」まで至らずとも、部活中に水を飲むなとか、非科学的な精神主義が横行していました。その全てが、「耐えろ」というものでした。少なくとも、僕らの世代は皆、忍耐至上主義のもとで教育されてきたので、ともかくも耐えることはいいことだと、叩き込まれています。効率的に成果を出すよりもむしろ忍耐という過程が大事なんだと、倒錯した価値観を持ったりもしています。

こうした旧世代の価値観が、いまも日本社会の隅々に根強くあります。それが、この国をガラパゴス化させているのではないのでしょうか。

忍耐すること、つまり、精神的肉体的に辛い状況を耐えること、あるいは、自分を押し殺して既存社会体制の価値観に迎合すること。そうこうしているうちに自分を見失い、もはや自分らしさが何だったかも思い出せなくなり、思考停止した日常のなかで、新しい発想だとか挑戦だとか何かに夢中になるとかのマインドを喪失し、勝つためのサッカーではなく和を乱さないサッカー、従順なサッカーという「日本らしいサッカー」に逆戻りしてしまったかもしれないサッカー日本代表のように、日本国全体が陥っているのであれば、そりゃいくら「頑張って」も、世界で勝てないわけだ。

追記1:結局のところ、日本は近代化の道を勘違いして進んでしまったのではないか。欧米列強へのキャッチアップを自分たちなりに考えてやってみたのだけれど、その「接木」には誤謬があって、ボタンの掛け違えというか、それが解消されないままに大国気分になっちゃったんで、これでいいんだと思い込んでデフォルト化しちゃったんだけど、それでは世界との溝は埋まりませんという現実が露呈しているのが今日の日本というユニークな国なのでは。でも、日本人自体はわりとフツーの国民気質なんで、その誤謬が解消できれば、個人的な溝はすぐに埋まっちゃうと思うんだけど。

追記2:この国、この社会を作りあげてきたのは、我慢に我慢を重ねてきた従順な人たちではなくて、クリエイティブな人たちだと僕は信じたい。世間の重圧をものともせず、何度心が折れても、熱い心で、おのれが夢中になれる対象に没頭しまくってきた、はた迷惑でも愛すべき人たちだと信じたい。