菅原道大という陸軍軍人(中将)がいました。沖縄特攻を指揮した陸軍第六航空軍司令官です。ちなみに、1983年に亡くなったときの訃報記事によれば、名前は「みちおお」と読むようです。
偕行社発行の雑誌『偕行』で彼の日記が公開されているのですが、今回紹介するのは、防衛研究所戦史研究センター史料室に保管された戦後回想文です(文庫-依託-485「特攻作戦の指揮に任じたる軍司令官としての回想 昭和44.8.7」)。「天号航空作戦における陸軍航空特攻の大部分を指揮統率した第6航空軍司令官として、腹蔵ない苦悩、所見、感想等を率直に述べておられる」と、史料に付けられた受入担当者のメモにあります。
その一部を抜粋します。その1。(「〓」は不読箇所)
そもそも特攻作戦の特長は戦術的に物的威力を発揮するのでなく、敵の意表を衝き挙隊急襲する気迫即ち精神的効果を狙ふところにある、元来特攻は普通の観念での戦法ではなく〓ちやな斬り込みで、敵が呆気に捕へらるる度が高ければ高いほどよいのである
その2。
予は国民精神に消長はあるが、その真髄は不知不識の裡に継承され、戦争と云ふような国家の非常時局に際して爆発するものだと信じてる、これがいわゆる伝統の継承である。
その3。
此の際は涙を呑んで彼等に死地を得しめることが真の親心であり、軍の統率者としては後世国民に遺さねばならぬ大きな宝であると信じた
その4。
どうせ特攻をやっても勝てないことはわかって居るのに何も特攻などやらんでもよいではないかといふ程度の意と解さるるがよく受ける質問である。特攻は戦法ではなく国家興廃の危機に際する国民の愛国思情の勃発の戦力化である
これを読んで、どう感じましたか。ムチャクチャだと思いましたか。
でも、当時の国民は、特攻、つまり、体当たり戦法に対し、少なくとも当初は沸いていました。「体当たりなど、けしからん!」ということには、なっていないのです。もし、当時の国民が、特攻に拒否感、嫌悪感、憎悪感といったものを抱いていたら、軍は積極的に特攻をアピールなどしなかったはずです。
つまり、当時の日本国民は、特攻を欲していたのです。それこそ、けしからん話ではありませんか?
ここで菅原道大が言っていることは、要するに、特攻とは、「国民を奮い起こす」という国内向けのプロパガンダであると同時に、敵の戦闘心を萎えさせる敵国向けのプロパガンダでもあったということだと思います。
一ノ瀬俊也氏『飛行機の戦争1914-1945─総力戦体制への道』(講談社現在新書、2017年)の主張もふまえつつ、プロパガンダとしての特攻という考えをすすめていくと、それは、軍の問題というよりも国民の問題に行き着きます。
あるいは、若者に自己犠牲を強いる「タテ社会の人間関係」(中根千枝)の日本社会そのものの問題に行き着くのかもしれません。
ただし、戦場での自殺的な攻撃が国民を沸かせるのは、日本だけの話ではありません。おそらくそれは、万国共通の事象です。