週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

歴史は鉄板ネタじゃないし飲み屋で披露する十八番ネタでもない。

今回は、閑話休題的雑談です。

日本の近現代史については、研究者、専門家の最新の知見と、一般の認識との間に、ずいぶんと落差があることは、少しかじってみた人なら、わかっていることと思います。

その落差を少しでも埋めることが、僕らにとって大事なことだと思うから、当ブログもその一助となるべく、一般にあまり知られていないことを中心に、できるかぎり資料にあたって、正確な記述を心がけているのですが。

しかしその落差は、研究者、専門家の努力不足というよりも、一般の人たちが、ファクトベースの歴史ではなく、自分たちが望む歴史をいまだに望みつづけているからなのではないかと、ちょっと最近、絶望感もこめて、そう思うようになってきました。もともと当ブログはマスに向けて書いていないので、絶望しなくてもいいような気もするのですが、しかし、それにしてもと。

すごいぞニッポン、ひでーぞ中韓、政府も軍部もくそったれ、俺たちはだまされた、ルーズベルトにハメられた…云々という歴史観って、結局、都合がいいんだよね。自分たちは悪くないエクスキューズ。自分たちでない誰かが悪い。誰かのせいだ。ってことで、そう言ってれば溜飲が下がるっていうか、溜飲が下がるだけっていうか。これまでと何も変わらない日常を今後も歩んでいければ、それでもいいのかもしれないけど、しかしそんな無責任な思考アウトソーシングで、これからやっていけるんかな、と僕は思うので。

歴史は、鉄板ネタじゃないです。鉄板ネタにしてはならないと思います。新しい史料が出てこれば変わっていくし、視点を変えれば違うストーリーになるし。そこが面白いところなので。飲み屋で披露する十八番ネタみたいに、何度も何度も話しているうちに事実と違う物語が出来上がりって、個人史ならそれでもいいのでしょうけど、歴史は私物化していいものではないし。

…と、いくらここで書いたところで、伝わらない人には伝わらないし、大きな石はびくともしないし、どうしようかなこれから、ってな感じです。おしまい。