週刊:日本近現代史の空の下で。

過去に向きあう。未来を手に入れる。(ガンバるの反対はサボるではありません)

富岡定俊が感じた真珠湾攻撃の成果:「そう段違いではないのだ」

富岡定俊という海軍の軍人がいました。山本五十六は知っていても、富岡定俊は知らない人は多いかもしれませんが、軍令部の作戦部長を務めた、太平洋戦争時の海軍を代表する軍人のひとりです。著作と伝記がそれぞれ一冊出ています。

国会図書館憲政資料室「木戸日記研究会旧蔵資料」に、富岡氏の戦後証言を記録した「談話速記録」が保管されていて、その第7回(昭和45年12月5日)で、富岡氏は真珠湾攻撃の成果について、こんなことを語っています(抜粋)。

軍人自身が…向こうとこっちのタクテックからあれがみんなこっちが十分優っている、飛行機の格闘だろうが爆撃だろうが警戒だろうが、そういう非常な優越感ですな、われわれが受けたのは。それは、うまく当たって沈めたというよりも、「大丈夫だったのだ」ということで、まず何もわからないのですからね。聞いてみて一体段違いの腕なのか何なのかわからないのですよ。それが一番でした。…「そう段違いではないのだ」、…軍艦とかなんかは数えられるでしょう、ところが普段の訓練とか命中率というものはもう秘密であってわからないのですから段チかも知れないのです。向こうの大砲の弾がよく当たってこっちのが当たらないかも知れないのです、それを早く知りたかったわけですよ。…空戦や何かの形から言って実力が劣っていないということからの非常に大きな安心感ですな。これが慢心になったわけです。いつか申し上げた驕兵ですね。ミッドウェーの驕兵ということになって来たわけです。

 どこで読んだか忘れましたが(たぶん有名な話)、真珠湾攻撃を受けたアメリカ側が、ドイツ人のパイロットが操縦しているのかと思ったという話があります。それだけ、厳しい訓練を受けた日本人パイロットの操縦技術が卓越していたということなのですが、つまりはそれまでのアメリカ人は、日本人を、自分たちよりも劣った存在とみなしていた、ということでもあります。彼らのそうした優越感と、対する日本人の劣等感が、日米開戦時には相当あったことを、ここで富岡氏は率直に語っています。

これは単に軍事面に限りません。著名な日本人物理学者の仁科芳雄氏は、ヨーロッパ留学から帰国した後、「日本人が将来現代物理学で欧米に比肩し得るだけの資質を備えているか悩んだ」そうです。

いまとなっては、富岡氏や仁科氏が抱えた劣等感は、滑稽な悩みに思えるかもしれません。しかし、百年前の日本人が欧米に対して圧倒的な劣等感を抱えていたこと、そして、それを乗り越えるための努力が懸命に行われたことは、いまこの平成の時代を生きる僕らも、敬意を持って振り返るべきと思います。